昨年の大納会は10,546円44銭を付けて終わった。希望的観測には最悪期を脱したとの読みもあるが、一方に二番底を危惧する声も少なくない。決して悲観論者ではない私でさえ強くその危惧を感じている。
しかし我が国の製造業の置かれて現状は、仮に二番底が無くても、その先行きは決して明るいものとは思えない。何故なら、かつては圧倒的な強さを誇った我が国製造業の製造業力に様々な問題点が生じているからだ。
しかも多くの我が国製造業は、その問題点に正面から向き合うこともなく、アリバイ作りとしか言えないような些末な手当てしか取れていない現実に強く危機感を抱くためである。
さらにその上に、サブプライムローンの破綻に起因する、リーマンショックによる販売不振である。自ら招いた苦境とはいえ、我が国の製造業はこれまで遭遇したことのない危機状態に直面している。
そのような状況下にも拘わらず、私が昨年一年接してきた我が国製造業の多くは、脳天気というか、内向きな管理業務になれきってしまったためなのか、“名ばかりの似非改革”を行い、改革を行ったつもり(はず)になっている例が驚くほど多かった。
しかしこの“名ばかりの似非改革”は、昨日今日に始まったことではなく、私がこのビジネスを始めた18年前にも各所で観られ、今日現在に至るまでこの愚かな行為は我が国各所で繰り広げられて来た。
なぜ私がこれらの“名ばかりの似非改革”を愚かな行為と決めつけるかは、説明しなくても分ると思うが、費用と時間を浪費して、一瞬の安堵を求める自己満足的な取組にしか過ぎないと理解するからである。
さて、この“名ばかりの似非改革”を、自己満足的な取組と上で述べたが、本当に自己満足的な取組であったのならまだましである。なぜなら少なくとも当事者達は、一生懸命自分たちの体制を改善しようと取り組んできたが、アプローチ方法が拙くて、うまく結果が出せなかった話なので、少なくとも改革改善を行おうとしてきた姿勢を評価できる。
しかし私が指摘する“名ばかりの似非改革”の多くは、どろどろとしたサラリーマン処世術の中に、その動機を見出せるケースが殆どであるため、事は深刻だ。
20年前、来るべくして来たバブル崩壊を受け、我が国製造業の殆どは、その生き残りをかけたリストラに走った。しかしそのリストラのスタイルは、我が国経済の凋落を受け、一気にその立場を取り戻した米国をはじめとする欧米企業のリストラスタイルを、そのまま模倣した取組が主流を占めた。
自社の将来像を全く描くこともなく、近視眼的な資産の切り売や、近視眼的な評価基準に基づいた事業・人材の淘汰を敢行していった。私に言わせれば、四半期毎の帳尻合わせにか過ぎなく、経営層の自己保身を図ったにしか過ぎない取組“場当たり的な延命策=似非リストラ”と、当時から厳しく糾弾をしていた。
そしてこのような取組が蔓延した事により、長中期で観た企業戦略をまともに建て、遂行できる実力を失った製造業が各所に生ずることになった。
しかし皮肉なことに、バブル景気に浮かれる米国市場は世界の景気を牽引し、2000年前後のIT不況期はあったが、概ね好景気の中、我が国製造業は、その体力強化や人材育成を顧みることなく、輸出依存で四半期毎の高収益を続けることができた。
一方、この20年余り、設計改革や商品開発力強化を目的とした診断を、私が行った製造業のどこの商品開発部署でも、それぞれの年度実行計画には、「コンカレントエンジニアリンクによる製品開発期間の短縮と品質の向上」、「3D CAD導入による設計の生産性向上とデジタルマニュファクチャリングの実現」「CAE活用によるフロントローディング設計実現」など、素晴らしい(請け売りの)文言が並び、翌年度の活動報告書には「成功裏に終了した」と、報告されている例が軒並みであった。
しかし私の診断報告では、「取組の痕跡すらない」「3次元CAD導入が目的になっていたのでは」「大枚を投下して導入したCAEツールが埃を被っている」など、散々な評価がなされるのが常であった。
短期間でその成果を求める経営層と、自分の首をつなぐことを最優先とする部門長が、商品開発部署を支配する環境下では、当然起こりうる現象であり、驚くほど多くの我が国製造業で、はっきり言ってどうしようもない“名ばかりの似非改革”が行われていた。
その結果、多くの製造業の商品開発部署では、長期視点に立った組織の体質強化がまともになされることもなく、場当たり的な表面化している問題点潰しに明け暮れる状況に陥っていったのである。さらに長期展望のない場当たり的な様々な施策は、人材育成の面でも大きな影を落とした。
それでなくてもバブル崩壊直後、本来なら自社の10年後、20年後の商品開発を担う筈だったベテランのスーパーエンジニアやその候補者達を、当時の経営層は、その価値も分らず自己の保身を図るため、ボロ切れのように捨て去った事実は、その後大きなダメージとして振り掛かっていた。“よく売れて稼げる商品を最短時間で高品質に”仕上げることができる人材が、バブル崩壊直後の節操がないリストラ策により、尽きてしまっていたのである。にもかかわらず、長期展望に立てない、場当たり的な様々な施策を繰り返していたのでは、人材が育つわけがない。
その昔高度成長期は、まともな人材育成などしなくても強力なスーパーエンジニア達が育ってきた。バブル崩壊後、企業経営を担った経営層の殆どは、この時代に育っている。しかも当時は、20歳代の若手設計者達が主力として頑張っていた。このため、「設計人材など、ベテランを捨てても新しい人材が自然に育ち、直ぐに戦力になる」等と、大きな誤解をしている輩が居る。商品開発には門外漢の計数マン育ちや、設計者失格の烙印は押されたが、処世術で上り詰めたエンジニア崩れの経営層達だ。
しかし彼らは大きな錯誤をしている。当時は、様々な技術を欧米に求め、試行錯誤を繰り返しながらそれぞれの固有技術を高めていった時代であり、また優秀なスーパーエンジニア候補生が、製造業に大量供給されていた時代でもあった。
現在(ついこの前まで?)我が国製造業の技術ポテンシャルは、世界トップレベルにいると言っても過言では無い。明らかに成長途上にあった3・40年前とは全く状況が異なる。また人材供給の面でも状況は一変した。少子化と若者の理工系・製造業離れである。優秀なスーパーエンジニア候補生が、製造業に充分に供給され無くなってしまったのである。
この条件の違いを見ただけでも、人材育成を当時と同じ感覚で行っていたのでは、的確な人材育成は不可能であることが分ろう。そしてこの問題は設計部署だけに限った問題ではなく、物作り部署のスタッフや営業部署の営業マン達にも言える。製造業全体のスタッフ力が低下してしまっている事実を、経営者達は認識すべきである。合わせて、自分たちの経営者力も低下していることも。
さらにバブル崩壊は、かつて強力だった我が国の製造業力を大きく低下させる問題が生じた。物作りを支えた末端のワーカ力である。「工場を海外移転するか?」「それとも偽装請負・製造業派遣を認めるか?」の、一部製造業のごり押しに負けた、製造現場の非正規社員化の問題である。
30年前にも製造現場には、請負の仕組みはあった。しかしあくまでも現場のワーカ力を正規社員の中で伝承を止さない範囲での請負だったはずだ。ところが今は違う、ワーカ力などお構いもなく、将棋の駒の如く需要に応じて安易に頭数を取捨する方式だ。当然の事としてプライドを持ち忠誠心を持ったワーカが育つわけもなく、その結果多くの製造業の製造品質が、大幅に低下する問題を招いた。具体その結果例として、昨今の米国市場における乗用車のシェアを観てみよう。
サブプライムローン破綻とリーマンショックから立ち直れず、苦境にあえいでいる米国市場においては、今でも米国自動車メーカや我が国自動車メーカの売り上げはスバルを除いて回復できずにいる。しかしその中で韓国メーカは急激にそのシェアを伸ばしている事実がある。
車社会で車が無くては生活できない米国において、確かに不況の折安い車に触手が動くのは自然な流れとしても、仮に韓国車が米国車より品質的に劣っていたら、新車購買層が韓国車に手を伸ばすだろうか。日本車と大幅に品質や性能乗り心地に差があったなら、同様に新車購買層が韓国車に手を伸ばさないだろう。
と言うことは、米国の新車購買層から観て、韓国車は品質レベルで米国車と同等若しくは勝っており、日本車に比べても大きく見劣りがする物では無いと判断されているのだろ。不景気に伴う収入減で我慢を余儀なくされた購買層が、許容できる範囲に韓国車の品質が収まっていると言うことだ。
この現象からだけ判断すると、かつては品質レベルでは群を抜いていた日本車に、韓国車の品質レベルが急激に近づいてきたと取れるのだが、私の見解は違う。どちらかと言えば、日本車の品質が韓国車に近づいていった(悪くなってきた)結果の現われではないかと考えている。
なぜなら、私の個人的な趣味もあり、機会さえあれば、毎年数十台の様々な車を試乗している。しかもデーラの営業マンには嫌われながら、なるべく距離を走るよう努力している。
車の評論を生業としているプロとは当然視点が違うが、メカエンジニアとして、車好きのユーザーとしての視点で、各車を同じ物差しで観ているのだが、はっきり言って韓国車のレベルは、まだ“良い”“大変良い”の評価を下せるレベルには至っていない。しかし我が国で試乗ができる米国車(高級車を除き)レベルには、達しているのかなとも判断している。ただし対象となる試乗できる米国車が少ないので(韓国車も)、必ずしも全体的な評価とは言えないかもしれないが。
一方かつてはその殆どが“良い”“大変良い”にランクされ、あら探しレベルで欠点を探し出していた国産車の品質に、最近疑念を抱くようになってきた。明らかに設計ミスと思われるような欠点を残したまま販売をされていたり、繰り返しリコールが行われている例を承知しているからだ。
そして我が国製造業が作り出す製品品質の問題は、車に限った物ではない。例えば私が購入した某社のコンシューマ商品など、これまで3回ものリコールを行った。これでは利益が出ないだろ。
他の商品も良く壊れる。少し以前は日本メーカの国産品は、殆ど問題を起こすことが無く、故障などと言う言葉は、安物の韓国製や中国製に対する代名詞のような感覚に陥った時期がある。しかし最近では国産品にも寿命(?)があるのだと、考えを改めた。
画期的な商品開発改革や人材育成などの取組に関する記事は、本HPに豊富に掲載してありますので参考にしてください。