企業組織としての製造業の存在意義は、社会正義に反することなく、適正な利益を上げ、株主に適正な配当を行う事にある。当然、利益を上げるために身を粉にして働く従業員に対しても、応分の還元(分け前)がなされなければならない。また、企業活動を行っていく上で、協調関係にある社会への適正還元も忘れてはならない。
ゆえに、これらの責務を果たすために製造業は、“旬でよく売れる商品”を常に開発し、市場投入を行い、市場から正当な利潤を上げ、株主・従業員・社会への適正還元を行ない続ける必要がある。
要するに、これからの我が国製造業は、全世界の顧客ニーズにマッチした、安全で高品質かつ適正価格の製品を、より短期間且つ低コストに開発できる実力を持ち、常に安定した商品開発と製品供給を行なうことが、その使命である。その結果、我が国製造業が潤い、株主が潤い、従業員が潤い、関係者が潤い、国民全体が潤う構図が、我が国製造業が担うべき究極の社会的使命である。
世界の工場と言われ、飛ぶ鳥をも落とす勢いだった1970年代から80年前半にかけての我が国製造業は、すぐにでも、このゴールに到達できそうな勢いであったが、バブル崩壊と共に儚くもこの期待は霧散した。
社会が安定し、“ハングリー精神”なる言葉が過去の遺物と化した20年ほど前から、モノ作り現場を避ける若者たちが増加傾向にある。増加傾向どころか製造業にとっては、壊滅的な人材供給難に直面している。そしてこの様な現状におかれた、我が国製造業の基盤を支える人々は、物作り現場の崩壊が遠からず訪れるのでは無いかと言う危機感さえをも常に強く抱いている。
豊富に人材供給がされていたかつての商品開発現場は、その組織の中の数%にしか過ぎない“スーパーエンジニア”達に全てを託してきた。直感と感性に全てを委ねても、優秀な“スーパーエンジニア”達は、“旬でよく売る商品”の関門をクリアー出来ていたのだ。
しかし、物作り現場を避ける若者たちが増え、バブル崩壊で強まったベテランエンジニアに対する迫害とも言える理不尽な仕打ちの数々は、製造業が“旬でよく売れる商品”を常に開発し続けるためには、極めて厳しい状況を生み出した。すなわち、直感と感性で“旬でよく売る商品”を生み出せる“スーパーエンジニア”が急激に減少してしまったのである。
“スーパーエンジニア”が減少すると何が問題かだが、その答えは明白だ。例えば筆者が提唱するフロントローディング設計を行なう場面でも、頭の整理されたエンジニアなら、即ち“スーパーエンジニア”なら、筆者が要求するような面倒くさい手順を踏まなくても、その経験則で起こるであろう問題点を事前予測して、的確に手だてを打った商品開発が出来る。要するに“スーパーエンジニア”なら、開発過程で起こるであろう多くのリスクを事前予測し、問題が起こる前に回避して、“旬でよく売れる商品”開発に結びつけることが出来た。
では新しい人材の確保も難しく、ベテランの“スーパーエンジニア”は減ってしまった製造業が何をすればよいのかであるが、その答えは明白だ。
未だ終身雇用の文化が残る我が国では、ヘッドハンティングなどを用いた外部人材の取り込みは、巷で語られるほど簡単な話ではない。人材そのものが不足している現状から容易に人材確保できない上に、せっかく確保した人材が生え抜きの古株社員に潰されてしまう問題があるからだ。
そうすると既有エンジニアの有効活用しかないと言う結論になる。しかし彼らには、“スーパーエンジニア”の様な能力がないと言う矛盾が立ちはだかる。
そして本書で紹介する設計思考展開(DPD)は、このような並のエンジニアに、“スーパーエンジニア”に勝る役割を果たしてもらおうと言う手法だ。これまでは、重要な役割を担わすには難のあった設計者達を、有効な戦力として活用でき、その設計組織を、“旬でよく売れる商品”を常に開発できる設計組織に変革させる手法である。
(2005年初夏 筆者)