CAE/CAD/CAM CONSULTANT 有泉技術士事務所

有泉徹の年頭所感2016(その2)



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設計部門はもの作りのための人材育成・人材供給元

 多くの製造業では、設計部署はそれぞれの企業全体を支える人材の供給元である場合が多い、特に技術者という括りで製造業を支えている人材を見渡すと、設計部門出身者が極めて多い。

これまで200件余りの製造業に入り事業改革や背品開発業務改革を目指した“現状診断”を行って来た私の経験では、殆ど例外なく設計部門出身者が主要なポジションを占めている例が極めて多い。

極端な例では、生産技術をはじめとする工場関係の課長クラス以上が、在籍期間にはバラツキはあるが、ほぼ全員設計部門出身者で占められていたケースもあった。

特に図面が2次元の時代には、とにかく図面が読めなければもの作りに関わる技術者としては話にならないとばかり、営業関係に就く者以外は、工学系出身者をとりあえず設計部署に配属する製造業も少なくなかったはずだ。

そして半年後、図面対応能力に欠ける者は、もの作りに関わらない部署などへの転出をさせ、一年〜3年後を目安に設計センスに欠ける者達を、生産技術以外のもの作りに関与する部門へ、人材供給する様なやり方が一般的であったと思う。要するに設計部門は、全社の技術者育成の役割も担っていたわけだ。

ただこの時代に、効率の良いシステマティクな人材育成手段を持っていた製造業が、我が国にどれだけあったかを振りかえってみると、殆ど存在しなかったと私は認識している。

私(新卒から10年弱建設機械の開発設計に従事していた)の経験でも、「自助努力で伸びろ」「見て覚える」「盗んで覚える」「経験して学べ」の教育システムであったと記憶している。確かに定期的に外部講師を呼んだり、設計者同士が講師を務める勉強会はあったが、システマティックとはとても言えない物であった(TQCの教育だけはすごかったが)。

しかしこのようなある意味放置的な教育手段を取っていても、多くの我が国製造業では、その高度成長を支える優秀なスーパーエンジニアを大量に輩出して、世界の工業界を席巻するまでも企業力を身につけていったのである。そしてこの時代にマーケットシェア確保できた様々な製品は、今でも多くの我が国製造業の、飯の種になっている事実がある。

さて、昔は大勢いたスーパーエンジニアが、現在何処の設計部署に行っても、指折り数えるほどしかいない実情がある。



図1 子供の出生率


私は現在65歳だ。私の年代は、丁度戦後のベビーブーム直後の世代で、私より上の世代は、物凄い数のベビーブーム世代だ。当時の大学進学率は、今ほどは高くは無かったが、大学に進学する学生の半分は、理工系の大学に進学した。そして理工系に進んだ学生達は、挙って当時成長の真っ直中にあった製造業にそのほとんどが進んだ。

すなわち、まずは子供の絶対数が多かった。その内の大学進学者の半分は、理工系に進んだ。更に、その内のほとんどは、製造業に進んだ。このため、当時の製造業には、現在に比べたら格段に多い数で、質の高い人材が供給されていた訳だ。

ところが現在の状況は、まず子供の数が半分近くに減っている。図1に示すように1947年には270万人いた出生者が、1960年代には160万人に減少している。その後ベビーブームジュニアの時代に一時期200万人を回復したが、その後100万人に近い線まで急激に落ちてきている状況が見て取れる。

さらに製造業にとって都合が悪いのは、その減った子供の内から、優秀な子供達が理工系に進まなくなった事実がある。20年近く前に3Kという言葉が流行った。「キタナイ・キツイ・キケン」の職場を指す言葉だ。まさに製造業の物作り現場は、建設業と並んで典型的な3K職場だ。若者達がこの3K職場を避けるようになってしまったのである。

現在でもその風潮は続いており、理工系の大学にまず行きたがらない。さらに、理工系の大学・大学院を卒業しても、製造業に入りたがらない状況が定着し、製造業に優秀な人材が供給される比率が大幅に減ってしまった事実がある。 就職難真っ直中の今現在でさえ、なかなか所定ポテンシャル以上の人材が来てくれない。

私は、現在の技術士事務所を設立する前は、大手広告代理店の子会社に在籍していた。CAEソフトなどを扱う老舗のIT企業だ。そして時は、丁度バブルの真っ最中。大手広告代理店のブランドと、背広にネクタイのサラリーマン生活を目指した、理工系出身の新卒就職希望者が、大挙して押しかけてきた場面に遭遇している。

仮に、昔も今も、優秀なスーパーエンジニア候補生が、その子供達の中に同じ比率でいるとする。そうすると、上記のような状況を鑑みると、現在の製造業には、今60代の人達が就職した当時に比べて、半減どころかそれ以下の人材供給量でしかない事になる。私の感覚では、1/4程度にまで下落しているのではないかという実感さえも持っている。

私が新入社員で、ある建設機械メーカに就職したころには、設計部署の人材選考は、一度新卒者の半分以上を設計部署に配属し、その中からふるいにかけ、使えそうな人材だけを残してゆく傾向があった。幸い私は、ふるいから落ちずに、先で例に引いたIT会社に移る迄の10年弱、開発設計者としての仕事を全うできた。しかし、同期入社で一緒の設計部署に配属されたメンバの、少なくとも1/3は、割合早い時期に設計以外の部署に配置転換されていった記憶がある。

私がコンサルタントとして、世の中の状況を見るようになってから、コンサル先での会話の中で、私が経験したと同じような、ふるい落とし式による設計人材選別のやり方を、各所で聞いた。さらに独立開業後160件を超える設計部署を、実際に診断を行った結果からも、多くの製造業で同様な傾向を把握できている。

昔、人材が豊富に供給された時代には、私が経験したようなふるい落とし方式でも、優秀なスーパーエンジニア候補生が毎年確保できた。そして“技は盗んで覚えろ”方式の人材育成方法でも、彼等は頭角を現すことができた。

ところが、人材供給が大幅に減ってしまった現在の製造業で、同じ事をしていたのでは、まともな商品開発は、叶わないことになる。何故なら、仕組みなど作らずとも、色々な手法等は使わなくても、着実に“旬な商品開発”が出来るスーパーエンジニアが、大幅に減少してしまったからだ。

 ではどうするかだが、日刊工業新聞者刊「機械設計誌」2014年4月号の特集では、昔は主戦力とはなれなかった、また今ではその能力の故、”作って””壊して””考えよう”を繰り返している普通の設計者でも、スーパーエンジニアに匹敵できるくらいの仕事をこなして貰う、即ちこれまでスーパーエンジニアに頼ってきた高品質商品開発を、組織力として対応出来る体制に早急に変えなければならないと述べた。

またこのための考え方や手法として「フロントローディング設計」「FS(フィジビリティースタディ)「設計思考展開」手法などを私は提唱してきた。まずは取組の本筋は、この取組である。

各手法は私のホームページに詳しく解説してあるので参照願いたい(一部閲覧会員でないと読めないページがあるが)。



(1月15日に続く)