1980年代全世界を驚嘆させた我が国の製造業力は、米国発の金融工学なるマネーゲームに毒された輩によって、はっきり言って見るも無惨な状況にある。振り返ってみるとこの無惨な状況を引き起こしたボタンの掛け違いは、すでに20年前に起こっていた。
我が国がバブルに踊った1980年代後半〜1990年代初頭、製造業にとっても空前の好況が続いていた。新製品をマーケットに投入さえすれば、私などの目から診たら少々難がある商品でも、その見せかけの良さと宣伝力で飛ぶように売れた。併せて輸出も相変わらず好調だったため、我が国製造業の多くは空前の高利益を上げていた。
さらにこの好況を享受しようと多くの製造業は、無謀とも思われる事業拡大に邁進し、身分不相応な膨大な借り入れと、常軌を逸した人員拡大に走っていた。始末の悪い所は、本業以外のゴルフ場経営やマネーゲームをすら始めるところが現れ、何でもありの状況に陥っていた。中にはマネーゲームからの稼ぎが、本業の商品売り上げからの利益を超える製造業も現れ、より良いものづくりを追求しようとする人たちを、さげすむ風潮が生まれたのもこの時代であった。
そして当時、私が訪問していた日本中の様々な工場では、それまでのくすんだスレート壁の質素な事務棟や厚生棟から、カラス張りの超近代的な建物へと、競うようにして一斉に建て替えられていった。またそこで出会う人たちも、それまでのくすんだ菜っ葉服からスマートな事務服や作業服へと変身していった。
しかしこの現象に私は、バブルの享楽に浮かれ遊びに熱中したり、いくらでも貸し出しをする銀行の口車に乗って、身分不相応な億ションに手を出す、部下や同僚達の日常の異常とも思える行動と併せ、何とも言えない違和感を感じていた。
所詮サラリーマン、バブルのおかげで少し多めの給料を手にしても、浪費し続け、しかも借金漬けになってしまったら、バブルが弾けたときどうするのか。同様にものを作って・売って・利益をだしてなんぼの製造業が、身分不相応な体裁まで気にしだし、無制限に人員を増やし、膨大な借金を抱えたら、バブルが弾けたときどうするのか。しかも本業以外のゴルフ場経営やマネーゲームに熱中するなど、とんでもない話だと感じていた。
製造業の本分は、“市場が求める商品を、的確(高品質・高性能・低原価など)且つ最短・最大効率で開発し、滞ることなく生産を立上げ、高品質・最大効率で安定した生産を行い、その商品を全世界の需要を持つマーケットにタイムリーに必要量供給した上、最短期間で売り抜くことにより、最大限利益を稼ぎ出すところにある”。そしてその結果、企業としての適正な利益を上げ、この利益から将来(5年〜15年先)を目指した先行投資(先端技術の仕込み・優秀な人材の確保育成・工場用地や先端設備などの確保など)を行うとともに、利益を生み出すために頑張った社員達と株主が残りの利益を分かち合う姿が理想である。
しかし本業外の稼ぎが一時的に大きく増えたりすると、駄目経営者達はこの本分を忘れ(元々本分が判っていなかった輩が多かったと思うが)、とんでもない考え違いを犯すことになり、上で述べた私の違和感につながってきていた訳である。そして案の定、バブル崩壊とともにこれらの製造業の右往左往が始まることになる。
バブル崩壊とともに、だぶついた人員を整理するための、なりふり構わぬ“リストラ”が当たり前に始まることになる。しかも多くは製造業としての自社の将来を見据えた結果でない場当たり的な員数あわせの“リストラ”だった。
しかも本来は、責任を取るべき、製造業の本分を忘れたマネーゲームなどにうつつをぬかした経営層が、取るべき責任をまともに取らず、高賃金の中高年を主なターゲットにした、数字合わせの醜い“リストラ”が横行した事実を、私は数多く見てきた。私がその生業とする“現状診断”や“製造業力診断”が、危うくこの“リストラ”の道具に利用されようとしたことが少なからずあった事と、“リストラ”を宣告された中高年が、再就職を求めて数多く弊社の中途採用に応募してきたためである。
そしてその結果、多くの製造業は、人材という面で大きく製造業力を殺がれ、2000年当時以降昨年に至るまで、上述の私が行なった“現状診断”や“製造業力診断”で、人材不足・継承技術の断絶・自社製品の原理原則伝承断絶などを指摘される製造業が軒並みという状況に陥っている。
さらに景気が回復期に入った2000年代に入ると、製造現場や設計現場の製図工などで大幅な人員不足が顕在化した。元々製図工については、派遣や持ち帰り(請負)が認められた業種だったため、割合容易に員数確保が可能だったはずで、員数という面では問題は少なかったはずだ。しかし当時製造現場では現業労働者の派遣は許されておらず、ここで極めて問題な、偽装請負という裏技が一般化することになる。
製造業における請負は、私が新入社員で入社した製造業でも行われていた。例えば溶接ラインの所定工程部分を請負会社が引き受け、自社(請負会社)社員でその工程の全作業を完結するような仕組みであった。まさに“請負”と言う言葉通りの仕事の受け方だ。1970年代の話である。
一方中高年を“リストラ”と言う手口で削減し、バブル崩壊の苦境をやっと切り抜けた駄目経営者達は、羮に懲りて膾を吹く(あつものにこりなますをふく)のたとえのごとく、改めての現業労働者の正規採用に躊躇する能力しか、残念ながら持っていない。このような彼らが飛びついたのが、昔からある“請負”と言う制度だ。安易な雇用の調整を行える手段として、違法行為を承知の上で“偽装請負”を行う製造業が密やかに生まれた。しかしこれは水面下で一部企業が行っている違法行為にとどまらず、瞬く間にこの違法行為を取り入れる製造業が我が国中に蔓延したのである。後にこの問題は、2006年の“公益通報者保護法”施行とともに内通者が続出し社会問題になった。
余談ではあるが、今巷で大きな話題となっている“派遣切“の問題は、上述した偽装請負が違法行為でありいずれは露見するであろうと不安を抱いていた産業界の危機意識を幸いに、我が国製造業の製造業力を損なおうと目論む米国からの”年次改革要望書“を実現しようとする輩(米国の手先)達の仕業だ。それまでは、通訳や製図工などの特殊技術職や特殊技能職に限られていた派遣労働の範囲を、2003年の改悪で仕事の範囲を原則自由化してしまい(2004年施行)、単純労働の製造現業にまで広げてしまったことに最大の原因がある。法案提出者、推進者そして確か強行採決をまでして2003年改悪案を強引に採決した国会議員達は、大いに反省し即刻改正に動くべきだと考えるが、本稿ではこの問題を追及することが目的では無いので、言及はここで止める。
そしてこのような偽装請負や派遣労働者の問題は、本稿の目的部分である“製造業力”にも、さらに上で述べたバブル崩壊期盛んに行われた“リストラ”と呼応する形で、様々な製造業に大きな陰を落としてきた。
冒頭私は、「振り返ってみるとこの無惨な状況を引き起こしたボタンの掛け違いは、すでに20年前に起こっていた」と述べた。そこでここからは、20年前から何が起こり今現在何が問題なのかを、“製造業力を損なう”と言う視点で、現在多くの我が国製造業の足枷になっている問題点に的を絞って時系列で追ってみる。
1 バブル期の急激な組織の水膨により業務の細分化や派遣製図工が多用され、設計力が大幅に低下した。
バブル期急激に拡大する事業規模に対応すべく、膨大な人員確保を行った製造業が少なくない。又正社員で確保できなかった部分は、当時から許されていた派遣製図工や業務委託(持ち帰り設計など)で凌いだ。その結果一つの大きな問題点と、その後大きな問題を引き起こす根がここで生じた。
一般の多くの製造業における設計者の育て方は、今現在でも徒弟制度に近い物がある。そしてこの徒弟制度のような効率の悪い設計者育成を何とかしようと、設計業務の標準化を推進した製造業は少なくない。私自身が現役設計者だった30年前でも、私の所属した設計部署では盛んに行われていた。
しかしこの設計標準なる物がなかなか難しく、強度や性能に影響を及ばさない、編集設計のようなルーチンワーク設計の範囲なら、確かに完璧に近い設計標準が作成でき、3ヶ月程度の基礎教育を受けた新入社員でも、充分に設計行為を行うことができる仕組み作りを、私自身この20年来各所で確立してきた。
ところが多くの製品は、新製品開発の都度、設計標準通り淡々と作業を進めれば済むような代物ではない。競合他社製品に打ち勝って市場で戦える商品を生み出すためには、設計標準では対処しきれない設計者達の知恵や想像力が必須となる。そしてこの知恵や想像力、そしてこれらを手抜かり無く設計に落とし込み、手戻り後戻りを犯すことなく最短期間で市場に投入できる力量が設計者達(少なくとも製品開発の中枢となる設計者達)には求められる。
しかしこれらの能力は、はっきり言って設計標準で何とかなる代物ではない。各の設計者が経た対象製品での設計経験と、自身が持つ素養、そして各自の自己研鑽の結果初めて会得できるスキルである。
開発が緩やかに進んだ時代は、ベテラン設計者に素養がある若手設計者を貼り付け、3年なりの年月を経験させると、そこそこの中堅設計者に育てられた(業種・製品によりこの期間は半年〜5年程度の差はあるが)。
ところがバブル期の急激に拡大した製品開発をこなすためには、このような悠長な事を言っておれ無かった。そこでやむを得ず業務を細分化して、取得しなければならない継承技術や固有技術を少なくし、後はベテラン設計者達のノウハウを設計標準化し単純化することで、経験の浅い設計者でも凌げる方策を講じた製造業は少なくない。これでは拙いと忸怩(じくじ)たる思いを抱きながらも、一過性のやむを得ない措置として自身に言い聞かせていたベテラン設計者達が大勢いた。
そしてその拙さが明白に露呈したのは、1990年代後半である(気づかずにいる製造業も驚くほど多いが)。自分たちが設計する製品の全体を見渡せない、製品全体が分っていないどころか、それまで自分が担当してきた装置・部位が、製品全体の中で果たすべき役割や押さえるべき機能を製品全体の成立という視点で理解できていない設計者達が急増してしまったのである。要するに“重箱の隅しか分らない設計者”の誕生である。
しかもさらに始末が悪いのは、“考えない設計者”も急増していた。“考えない設計者”の問題は、バブル以前から私を含め意識ある人達の間では、問題視されていた現象である。
2次元CADが普及し、先輩達が設計した図面を流用した流用設計が容易にできるようになったときに、この問題は多くの製造業で生じた。手書き図面の時代はたとえ第二原図を使って図面を流用するのにも、消すべき線と描き足す線を一本ずついちいち熟慮しながら進めなければ、設計が成立しなかった。安易に消し描きした場合、よほど感が良いか運の良い設計者でない限り、途中で必ずやり直しが生じ、余計な時間を費やすことになる。だから皆設計者達は、その能力の限りを尽くし、その図面を設計した設計者の意図を読み取り、図面全体の狙いや押さえどころを把握した上での流用設計を一般的には行っていた。
ところが道具が2次元CADになると、線の消し描きなど瞬時にできる。仮に検図者や上司の指摘で図面を直す必要が生じても、本人に取ってはそれ程負担ではない。瞬時に直せるからだ。
しかしこの悪習が部品図の範囲に留まっているだけなら、補助設計者や製図工の範疇での“考えない設計者”であって、設計現場としての被害は未だ少なかったかもしれない。だが既にバブル以前から、設計初期段階の構想図や計画図の段階までもが汚染され、試作図面出図は早いのだが試作段階での手戻り後戻りが続発して一向に開発期間が縮まらないと言う問題が指摘されていたのである。
上で述べたバブル期の水ぶくれ対応のため行った、業務の細分化や派遣設計者達の多用の問題は、この“考えない設計者”達をさらに増加させることになる。業務を細分化するために準備した設計標準類は、それぞれの分担を担う若手設計者達から“考えるという行為”を不要にしたからである。さらに始末の悪いことに、この設計者達は、本来自分が知恵を巡らせるべき設計作業そのものを、派遣製図工や業務委託設計者に丸投げする行為が蔓延することになる。なぜなら“考えない設計”の結果生じた手戻り後戻りを潰すために日々駆け回り、自身でCAD端末に向かう時間など取れないからである。
他にもこの時期“継承技術の断絶”、“設計者として能力の低い人員増加”など多くの問題点を生んだが、本稿では“継承技術の断絶”の問題は次節で述べ、他はこの程度で止める。
(次回平成21年1月9に続く)