昨年は、技術者の倫理に関わる問題が多発した年であった。神戸製鋼や三菱マテリアル子会社、さらには東レ子会社などによる品質データ改ざんや、スバルによる燃費改ざん、日産自動車及びスバルの完成車無資格検査などである。
神戸製鋼所では、複数事業所においてアルミ・銅製品・銅管等の検査仕様書(ミルシート)における強度特性などの性能データや、寸法成績表の記載内容を改ざんしていた。
三菱マテリアルの子会社三菱電線工業では、樹脂製のシール材の品質データが改ざんされており、また他の子会社である三菱伸銅では、車載端子に用いられる黄銅条の強度データが改ざんされていた。
東レの子会社である東レハイブリッドコードでは、タイヤコード用繊維類の品質検査データが、何と品質保証室長の手で改ざんされていた。
スバルでは、10年前に三菱自動車が改ざんを行い、同社を経営危機に陥らせた燃費データ改ざんの可能性が取りざたされている。
恐らくこれらの問題は、氷山の一角が表に出たに過ぎない現象で、他の多くの製造業でも、様々な改ざんが行われているに違いない。
しかしこれらの問題も重要だが、さらに私が危惧するのは、性善説を前提にしたカーメーカが自ら行う、完成車検査制度(完成検査)が破綻の危機に面していることだ。日産やスバルが、無資格者に完成検査を行わせていた問題である。
この完成車検査制度(完成検査)は、法律に定められた自動車検査登録制度(車検)に基づく制度である。この法律によれば、新車は原則国交省配下の陸運局に一台づつ持ち込み、保安基準に適合している検査(新規検査)を受ける必要が
ある。この検査に合格すると自動車検査証が交付されて、やっと新規登録を行うことが出来る。そして始めて路上で、運転できるようになる。(保安基準とは、自動車が安全に走行できる最低限の状態を定めた基準だ)。しかし杓子定規にこの原則に従っていたのでは、当然陸運局はパンクして、ユーザも新車登録に長い時間待たされることになる。
そこで型式指定という制度が設けられており、各自動車メーカが自社で生産する自動車に対して、車種毎に国交省に対して型式認定の申請を行い、様々な審査をうけ型式指定を受ける。そうすると、型式指定された自動車の新車は、製造メーカが発行する完成検査終了証の有効期間内であるならば、新規検査を省略できるようになる制度だ。
要するに型式指定は、原則全て一台ずつ陸運局に持ち込み、一台ずつ検査を受けなければならない所を、国交省と自動車メーカの信頼関係を前提に、本来なら国が行う一台々の検査を、自動車メーカに対して完成検査と言う形で移管した制度なのだ。
そして各自動車メーカで、完成検査を行う事が出来る要員は、各メーカが定めた基準に従い、充分な検査経験や品質知識を持っており、登録・認定された検査員が行わなければならないと定めら得ている。
今回の日産やスバルが行った行為は、まさにこの信頼関係を根底から崩す、順法精神から大きく逸脱した不祥事である。
しかもこの問題の発覚は、国交省の立入検査で発覚したと言う事実も、この問題の質の悪さである。要するに日産は、この問題が発覚するまで、平然と法令非遵守を日常的に行っており、しかも全ての工場で行っていたという事実である。
恐らく国交省の立入りは、一部の倫理観の高い社員が、国交省にリークしたことが切っ掛けであろうとは思うが、同じエンジニアとしては、日産のエンジニア達にあきれて物が言えないと言うところだ。
私は常々製造業の本分は、次に記す要件を満たすことだと述べており、この考え方に賛同して頂ける方は多い。また多くのまともな製造業経営者は、同様な理念を持って日々の経営に臨んでいる。しかし上記事件は、このような考え方や理念を根底から崩す行為である。多くのまともな経営者達が日々行っている努力を、根底から覆す行為である。絶対に許すことが出来ない行為だ。
私が唱える製造業の本分とは以下である。
「企業組織としての製造業の存在意義は、社会正義に反することなく、適正な利益を挙げ、株主に適正な配当を行う事にある。当然、利益を上げるために身を粉にして働く従業人に対しても、応分の還元(分け前)がなされなければならない。また、企業活動を行って行く上で、協調関係にある社会への適正還元も忘れてはならない。」
「故に、これらの責務を果たすために製造業は、“旬でよく売れる商品”を常に開発し、市場投入を行ない、市場から正当な利潤をあげ、株主・従業員・社会への適正還元を行ない続ける必要がある。」
「要するに、これからの我が国製造業は、全世界の顧客ニーズにマッチした、安全で高品質且つ適正価格の製品を、より短期間且つ低コストに開発できる実力を持ち、常に安定した商品開発と製品供給を行なうことが、その使命である。その結果、我が国製造業が潤い、株主が潤い、従業員が潤い、関係者が潤い、国民全体が潤う構図が、我が国製造業が担うべき究極の社会的使命である。」