<前略>
いつも先生のご経験に基づく、各種警醒や時流の先を行く各種御提唱などを楽しみに、毎週拝読させて頂いております。
さて、2月20日に掲載された「フィジビリティースタディを行っているのだが質の高い製品開発に結びつかない・・・どこが悪いのか?」の御回答で、“仏造って魂を入れず”と言うコメントがございましたが、恐らくご質問者の方には、今後のご指導を通じて詳しく示めされて行くことだと思いますが、文面を拝読するだけの私共としては、先生のこれまでの御説から何となくは推理できますが、本当のところ何を意図されておられるかが分かりません。せめて会員の私共にはもう少し詳しく解説を頂けますと幸いです。
<後略>
広辞苑によると“仏造って魂を入れず”とは、「苦労して物事を殆ど達成しながら肝要な一事を欠くことの例え」とあります。
要するに質問を頂いた製造業では、その説明から(2月20日掲載分では、そのまま掲載すると販社関係にどの製造業かを特定される恐れがあるため、詳細を省略した)、恐らくインストラクチャー面からはFS室を始め、我が国の最先端を行く環境を整えているかに見えます。さらにフィジビリティースタディを運用してゆくための環境整備(マニュアルやルール化など)も、十分にそろえられているようです。
しかし、フロントローディング設計面ではそれなりの成果を見ていることから鑑み、フィジビリティースタディへの取組姿勢に問題があると診たわけです。
例えば、フィジビリティースタディ***********此処をお読みになりたい方は会員登録を*******************************************************しまうからです。
他にも、スタディ***********************************************************************************************************************ないと理解下さい。
また、スタディ*********************************************************************************************************************************状況に陥ります。
他にも“仏造って魂を入れず”に当てはまるケースはありますが、上記3ケースが代表的な物とご理解下さい。
一方、形だけ作って全く様になっていないケースがありますが、私はこのようなケースは、“仏造って魂を入れず”とは申しません。“ただ体裁だけを整えた”“出鱈目な取組”などと酷評致します。
例えば、フィジビリティースタディを運用してゆくためのマニュアルやルールを、推進者都合に重点を置いて、彼ら目線での緻密な物を定めて、そこそこインフラ環境を整えたら、後は自分たちでやれ的な姿勢での取組です。
最悪は、これらルール(実際にうまく行くかの確認も取ったことがない)を、金科玉条のごとく扱わせているケースもありました。歴史の古い、かつてTQCで成功した製造業でよく見かけたお粗末です。