<前略>
弊社もご多分に漏れず、弊社製品開発に関する継承技術や設計ノウハウなどが、霧散してしまった状態にあります。その切っ掛けは、先生のホームページでも紹介されていると同様に、2〜30年前の、バブル期の急膨張と、バブル崩壊後の急激な人員削減だったと思います。
具体的には、バブル期の急膨張で、それまで行われていた徒弟制度にも近い、技術継承が物理的に不可能となり、中途半端な育ち方をした若手設計者が増えたことにより、開発途上における設計不具合が多発するようになりました。
ここが第一番目のターニングポイントだったと思います。
さらに始末が悪かったのは、競合他社に打ち勝つべく、人海戦術で開発期間を短縮しようとしたのが失敗で、製品出荷後のクレームを多発して、利益率を大幅に低くしてしまうなどの大失態を繰り返しておりました。
それでも、「それ行けどんどん」のご時世、これらの問題も余り問題視されることもなく、開発棟や工場はきれいなガラス張りの建物となり、それまで薄暗く餌を掻き込むだけだった社食は、おしゃれなカフェテラス様式に変貌しと、職場環境の充実と共に、空前のボーナス支給など、社員一同バブルを謳歌しておりました。
ところがバブルが崩壊すると一転、本業以外にも手を染めた放漫経営が災いして、極限までの経費削減どころか、製造業としての存続さえをも無視した、大幅な人員削減の嵐が吹き荒れました。
この時点では未だ、我が国の高度成長と連動する様に、我が社の急成長を支えた6〜70年代入社のベテラン設計者達が、昇進して他部署のマネージャに就いた者以外、殆どのメンバーが開発部署に残っており、重要な開発案件や、若手設計者達の尻ぬぐいなど、あらゆる重要な役割を担っておりました。
しかし、放漫経営を続けて、弊社を危機状態に陥れた張本人である当時の経営者達は、ただ単に給与が高いと言うだけの理由で、これらのベテラン勢に焦点を当て、彼らに対する執拗な嫌がらせを繰り返して、追い払いを敢行してしまいました。
当時たまたま、極めて重要な開発案件に携わっていた私には、それほど強い働きかけもなく、辞めていった同僚達にはうらやましがられたのですが、今日の状況を予知して内心「残るも地獄」の思いを抱いておりました。とは言っても未だ末端管理職に過ぎない私などに、経営陣の方針に、異論を唱えることなど出来ず、悶々とした日々を送っておりました。
これが2番目のターニングポイントとなります。
そして3番目は、生産拠点の世界化です。
円高基調が続く状況で、輸出比率の高い弊社では、国際競争力を維持すべく、バブル崩壊の整理が付く頃から、積極的に生産拠点の海外化を進めて参りました。
ところが生産拠点を海外に分散すると言うことは、その拠点毎に立上げ・定着を仕切る人材が必須で求められるわけで、なりふり構わず人員削減を行ったばかりの弊社では、たちまち人材不足の壁が立ちふさがったわけです。
上では、開発部門のベテラン設計者達の人員削減顛末を紹介致しましたが、この嵐は、生産技術や工場管理・製造・サービスなどの部門にまで及んでおり、何処にも重要な役割を担わせる人材が、枯渇している状況に陥っていたわけです。
その結果、私を含め開発部門に残った中堅勢に白羽の矢が立ち、一部を残しその殆どが、海外生産拠点の立上げ・定着に投入されてしまいました。私などは、結局都合3カ所の生産拠点の立上げ・定着を担当させられる始末でした。
一方残された開発部門ですが、残念なことに、その場しのぎのマネージャとしては、それなりの能力を持ってはいるのですが、開発設計者、製造業の設計責任者としては不適な(私から見て)人間が、10年以上開発設計部署を仕切る結果となってしまいました。
はっきり言って製造業とはなんぞや、製造業における設計の役割は、機械設計者のあるべき姿など(先生お得意のフレーズを戴きましたが)、私から言わせると全く解っていない人間で、当然の結果として、設計者の育成、開発設計部署の総合的な技術向上などには、全く興味を持たず(実行計画などでの文言では白々しく謳っていたが)、端から見ると最悪の開発設計部署に陥っておりました。
そしてかねがね役員会などでこの問題を指摘していた私に、この10月、急遽開発部門を掌握させる旨の人事が決まり、このたびの問い合わせに至った次第です。
10月いっぱい開発部門のメンバーに、これまで私が不満や疑問に思っていた点を中心に、ヒアリングを続けた結果、私なりには、若手はともかく中堅、ベテラン設計者達の育ちが極めて悪いことと、我々の時代にはあった継承技術や設計ノウハウなどが、実質的には霧散してしまっていることを把握致しました。
設計ノウハウ集や設計標準、設計要領書など、我々の時代に作成した物は、確かに残っており、漫然と使われているようでしたが、20年以上の技術の進化を全く織り込んでおらないようで、私に言わせれば、陳腐化した役立たずな物としか思えませんでした。
そのほかにも多くの問題点を把握したのですが、唯一の救いは、若手設計者達の多くが、磨けば光るであろう、逸材揃いと見えたところです。これも就職難のおかげで、昔なら弊社などには来て貰えなかった逸材が取れたのでしょう。
そこで、弊社が本来なら持っているはずの継承技術や固有技術を、早急に探しだし整理体系化、共有することで、この若手設計者達を急速育成するための道具としてフル活用しようと考えております。
またかつて弊社の開発設計者達が持っていた様々な設計ノウハウは、先生がおっしゃられておられます、機械のあるべき姿や機械の原理原則などに基づき、論理的な思考で、設計を進めることを前提にしておりました。
ところが、ヒアリングで把握した現状は、過去からの遺産を、ただ文言上の注意書的に用いており、肝心要な、機械のあるべき姿や機械の原理原則などに基づき、論理的な思考がお座なりにされておりました。
この面からの、取組姿勢の改革も、若手設計者達には施していきたく、ここ数週間、様々な書籍やインターネットで情報を調べ、先生に行き着いた次第です。
特に先生のホームページのコラム欄(読めないページが沢山あり少々不満ですが)や機械設計誌に長期連載された「グローバル競争を勝ち抜く “攻め”の設計改革講座」を拝読して、まさに私が求めている方向性を、導いていただけるであろうお方だとの思いで、問い合わせをさせていただいた次第です。
近日中に弊社にご来社いただき、具体的なご支援の話をさせていただきたいと思いますが、弊社でも連載で紹介されている、「”暗黙知”の形式知化」「ナレッジ改革の取組み方」「ナレッジデータとなる設計思考展開表の作成」などを参考に、私の目論見を実現できますでしょうか。目論見は外れていないでしょうか。
しかしこれらの目論見は、膨大な時間と手間が掛ると考えますが、腰を据えて手間を掛けて回復するしか方法はないのでしょうか?
<後略>
もう少し詳細に状況をお聞きしないと断言は出来ませんが、ご提供いただいた状況の範囲では、間違いなく私が、連載「グローバル競争を勝ち抜く “攻め”の設計改革講座」で紹介した、様々なアプローチで実現可能と考えます。
特に若手の方々が逸材揃いと言うことで、頼もしい限りです。恐らく**さんの時代も、私が経験した時代とさほど変わらなかったと思いますが、私が経験した時代における、開発設計の中心設計者は、20歳代後半のメンバーでした。私自身も26歳で、FEMを駆使して、ROPS国産認定品第一号の開発に成功しております。
ですから、**さんの目論見が巧く進めば、逸材揃いの若手を中心に、一挙に開発設計部署の体質改革が実現出来ると思います。
もしかすると、ご懸念の“腰を据えて手間を掛けて回復する”が、逸材の若手メンバー達のおかげで、予想外に短期間で終わるかもしれません。
詳しくは、お邪魔させていただいたときにご提案、ご紹介致しますが、若手メンバーを当面の実業務から外して、**さんが目論む方向性実現に集中させるとともに、退職してしまった(追い出し組は無理だと思うが)や、他部署に移動してある程度余裕があるベテラン設計メンバーの支援を仰ぎながら、短期間且つ効率よく、**さんの目論見を実現する方策が取れる可能性がありますので。
恐らくお手伝いしがいがありそうなお話ですので、是非私にご支援をご用命頂けますことをお願い致します。