高麗神社(こまじんじゃ)は、700年代朝鮮半島から我が国に逃れてきた高句麗王族、若光をまつる神社です。若光は関東一円に渡来していた高麗人を纏め、武蔵国に新設された高麗郡の首長として未開の原野切り開いたと伝えられます。そして若光の子孫が代々高麗神社の宮司を務め、現宮司で60代目になります。後世には、浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが、高麗神社参拝の後総理大臣になれたことから、「出世明神」と知られるようになり、知る人ぞ知る有名な神社です。
アクセス
箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)は、平安中期、平忠常討伐に向かった源頼信が、神社一帯に本陣を張ったことから始まります。陣内にあった野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願したところ、箭(矢)の形をした白雲が夜明けの空に、にわかに現れ、その雲は敵を射るかのように飛んで行って、頼信軍が勝利したと言う伝説があります。そして勝利を収めた頼信は、この野久稲荷神社を箭弓稲荷神社と改めたことが、本神社の由来とされます。境内には、長年掛けて整備されたぼたん園があり、5月の連休頃は見頃となり、他に藤やつつじも見事に咲き誇り近隣から多くの参拝客を集めております。また”やきゅう”と言う名前から、野球関係の参拝者も多く、往年の名選手や監督達の足跡も残っております。
玉敷神社(たましきじんじゃ)は、大国主を主祭神とする神社で、埼玉北東部の元荒川流域を中心に数多く分布する、久伊豆神社の総本社的存在の神社です。 江戸時代までは「久伊豆大明神」とも称されており、埼玉郡の総鎮守として尊崇されていたそうです。境内には藤の古木があり、連休時期になると見事な藤の花を咲かせ、多くの参拝客を集めております。