CAE/CAD/CAM CONSULTANT 有泉技術士事務所

有泉徹の年頭所感2019



ゴーン改革に思う


私は1992年の独立開業以来、稼げる設計改革や事業改革に取り組んできた。そしてゴーンが来日した1999年は、私が各所でフロントローディング設計成功例として紹介をしている、A社での取組成果が計測出来た年である。

またこの年の私の動きを、当時のスケジュールで確認してみた所、なんと自社主催3回、外部の講演会10回、企業に訪問してのプレゼンテーション36回と、各所でA社の成功事例を喋りまくっていた年でもあった。

この後もしばらくは同じようなペースで、A社の成功事例を各所で喋っていたのだが、ある時点から日産リバイバルプランや、ゴーンの取組に対する私の見解を求められる場面が増えてきた。特に2001年のV字快復という華々しい成果が出始めると、一度の講演で必ず数名から質問を受けるようになった。

これらの質問に対して私は、「海外生産シフトを徹底的に行うのなら、5工場の閉鎖と製造に直接関わる4000人の削減は、やむを得ないかもしれない。しかし日産は、バブル崩壊以降6万人の従業員を4万人余りにリストラを続けてきた、さらに2万人のリストラは、余りにも現実離れをしている。」

「しかも国内デーラの6500人削減は、強豪が犇めく日本国内市場は諦めて、ワールドワイド市場での生き残りを図ろうという意思表示であり、国内での働き場を奪おうとする、日本経済にとっては許し難い戦略である。」

(現実的には、1999年の国内売上が76万台に対して、2000年は73万台に減り、2003年には83万台に増加した物の、徐々に減り続け2017年には58万台にまで売上を落としている。一方海外販売を含めた総売上は、1999年の253万台から2001年に263万台年微増したあと、リーマンショックによる落ち込みはあった物の、2017年には579万台という2.3倍増を果たしている。)

「常々私が唱えている国内製造業の本分は、“旬でよく売れる商品”を常に開発し続けて、これで稼ぎ続ける事だ。要するに全世界の顧客ニーズにマッチした、安全で高品質且つ適正価格の製品を、より短期間且つ低コストに開発して、常に安定した製品供給が叶うことが、製造業に求められる要件であり、製造業の本分のはずである。」

「そしてその結果、我が国製造業が潤い、株主が潤い、従業員が潤い、関係者が潤い、国民全体が潤う構図を実現できる事が、我が国製造業が目指すべき姿であると公言している。」

「この観点から見たときに、ゴーンが行っている日産リバイバルプランは全く方向を違えて、私としては全く評価に値しない取組だ。」

「また、戦前より築いて来た日産が持つ資産を、単に切り売りするだけなら。日産生え抜きや、学者・役人あがり以外の能力の高い人物なら、覚悟さえ決めれば誰でも出来ることだ。」「この面からは、私はゴーンを全く評価をしていない。」「近い将来“旬でよく売れる車”を市場投入出来たのなら、始めて評価をする価値がある。」等と答えた物だ。

(日産リバイバルプランでは、形振り構わぬサプライヤー半減施策と納入価格削減要求により、国内の優良中小企業を疲弊させ、多くの倒産企業や失業者を生んだ。)(ただ唯一評価できるのは、日産が保有するサプライヤーの株式を悉く売却したことであろう、これにより天下りの温床が根絶でき、大きな無駄がカットされたことだ。)

しかし私が語気を強くゴーの取組を否定したのは、技術要員500名の削減プランである。「1999年時点の日産で500名の希望退職者を開発要員に募った場合、恐らく日産に見切りを付けた優秀な人材ほど応募してきたはずだ。現実的に前の週に厚木で打合せをした人に、翌週栃木の食堂で遭遇するなどの経験が私にはある。また多くの方々から、日産を辞め他に移った旨の連絡が沢山あった」

これが何を意味するかは、言わずともお解り頂けると思うが、日産自身の開発力が大幅に低下すると共に、競合他社にそれまで自社で構築してきた新技術を、易々と手に入れられてしまうと言うことだ。特に特許申請に至っていない醸成中の新技術をだ。

さて昔の話はこれくらいにして、ゴーンの日産私物化問題に触れてみる。

確かに業績のV字快復は、さすがコストカッターの異名取る人物だ。その手段に同意は出来ないが、約束通り結果を出した。

しかしその後が問題である。私に言わせれば、“旬でよく売れる車”が世に投入できていない。商品イメージ・機能・性能・価格にうるさい日本市場での低調さがその証である。確かに東日本大震災時における、いわき工場の操業再開などには評価できる点もあるが、リバイバルプラン達成後の経営は必ずしも成功しているとは言い難い。

人間誰しも奢りはある。特に目が覚めるような成功を収め、絶対的な権力を手に入れた独裁者は、どうしても裸の王様に陥り、組織と自己との境が見えなくなる。これが今回ゴーンが犯した過ちの全てであろう。

これは取り立てて云々することでもなく、過去の英雄が単なる独裁者に陥ったという、歴史上不思議でもない出来事の繰り返しに過ぎないからだ。